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「どこに行っても、空は繋がっている。あの人もこの空を見ているのかなって思って、僕――」
雪に閉ざされた国の小さな酒場で、一人の青年が小さな声で呟いた。目は虚ろでどこか遠くを見つめているようである。先が冷えるのか、長い三角形の耳を時折ぴくりと動かしている。
「若いねえ」
隣の男が茶化すように相槌を打ってから、黄金色の酒をすっと飲み干す。親子ほど歳の離れた二人が肩を並べて座る姿は、無骨者が集う酒場では少々目立つ光景である。
「だってそうでしょう」
「いつまで前の依頼を引きずってんだ。いいねえ、青春だねえ」
「うわ、親父くさ……」
「俺ぁ正真正銘おじさんですから。木の実ジュースしか飲めないお子様と違ってな」
「エルフの好みと人の好みは違うんです!」
青年が両手で机を叩くと同時に、服に縫い付けられた小さな鈴が涼しい音を立てる。移りゆく木の葉の色を重ねたような美しい色をした青年の衣装とは対照的に、『おじさん』の服はほぼ黒一色。その殆どが、飾り気のない地味な色のコートに覆われてしまっていた。
「僕のほうがあなたよりずっと年上ですよ、ジェイ。百年しか生きられない人間と違ってね」
「百年しか生きられない人間に惚れる馬鹿が、偉そうに」
笑いを含んだ言葉を投げながら、ジェイと呼ばれた男は今宵何杯目かの酒を再びグラスに満たしていた。
「悪いことは言わねえ。いいかラッセル、エルフと人の恋愛なんてやめておけ。うまくいくはずがねえ。それにおまえはこの仕事が気に入ってる。——賞金稼ぎの仕事が気に入ってるおまえが父じゃ、妻や子供が可哀想だ」
「それは、そうですけど――」
「んで、前の嬢ちゃんはどうなったよ。花売りの」
「えっ」
「そういや、この前の美人料理人との話も続きを聞いてねえな」
ラッセルはこういう男だ、ということをジェイはよく知っている。母親からまともに愛情を注がれたことのいないラッセルが心惹かれるのはいつも、余裕があって面倒見の良い女性ばかりだったし、エルフの女性を好きになれないのは自分を捨てた母親への恐怖心と憎しみが未だに消えない証拠なのだろう。
「好きなだけじゃ何の意味もねえんだよなあ。おまえに足りてねえことなんて山ほどある」
人は、エルフの四倍の速さで年をとる。
愛した人の老いを見つめ、死と向き合うだけの覚悟など今のラッセルにはあるはずがない。
ぴり、と耳を震わせて顔を伏せたラッセルが反論しないのは、きっと彼自身もよく分かっているからだろう。
優しさを求めるくせに、優しさの与え方が分からない。どう接して良いのか分からないから、試行錯誤を繰り返しその度に何度も心を砕かれる。
――その点については、ラッセルに非があるのではない。
「デートというものは、野原でかけっこじゃ駄目なんでしょうか」
「悪くはないが、相手はレディだぞ」
「エルフの女性は皆、野を駆け風と遊ぶものですが」
「そりゃエルフはそうだろうさ。それに、おまえの言うかけっこは人間の基準だと長距離走だぞ」
「彼女があなたのことを考えると胸が苦しいと言うから、呼吸が楽になる薬を作ったこともあります」
「身体的苦痛じゃねえんだな、多分」
「どういうことです?」
深緑色をした大きな瞳を向けられた瞬間、ジェイは思わずため息を漏らした。
彼を保護した自分の不器用さがそっくりそのまま移ってしまったのだろう、とジェイは常々思っているが、流石に彼は不器用すぎる。
「はあ……この重苦しい雲が垂れ込めた夜空の下、あの人は何を思っているんだろう」
「場所が変われば空も変わる、愛しのレディ達が見ている夜空は快晴だろうさ。星が綺麗ねー、なんて話をしてるんじゃねえの」
すると、ラッセルは地の底にまで届きそうなほど暗く沈んだため息をついた。感情が出るのか、三角の耳も心なしかくったりとうなだれているように見える。
「空じゃなくて、月を見ろ」
黄金色が喉を焼く感覚を楽しみながらそう言うと、ラッセルは微かに顔をあげた。
――で。
「ラッセル、実のところおまえは一体何歳なんだ」
「え?」
「俺より長く生きてるんだろ」
しなびた空気に水をやろうと、ジェイが話題を変えてから間もなくのこと。
顔をあげたラッセルは少しの間黙りこんでから、言った。
「今年で……百二十三」
「ひゃくにじゅうさん!?」
口元に運びかけていたグラスを一気に机に戻しながら、ジェイは大声で繰り返した。
「爺さんじゃねえか! 人のことをおっさん呼ばわりするなんて……それに歳を隠してうら若い顔してよくもまあ……」
「失礼な! 人間で言えばまだ二十歳そこそこです!」
「決まりだ。おまえは絶対、時の流れが同じ嫁さん探さねえと駄目だ。後々厄介なことになる」
その後の自己紹介風景:
「ラッセルと申します。以後お見知り置きを」
「こいつ御年百二十三歳の爺さんなんだぜ」
「うるさい」
若者とベテランの旅っていいですよね。